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田代茂樹 家族

田代茂樹の家族・家系
(東洋レーヨン社長を歴任)



祖母:杉森神社の神官の家系
父:謙三郎(村長)
母:モモヱ 
兄;敏孝
姉:キクノ
姉:フジヱ
弟:庸(いそし)
弟:謙助
弟:田代三千稔(英文学者・翻訳家・ラフカディオ・ハーン研究家)
妹:敏子


■明治23年12月5日に父・謙三郎、母・モモヱの第4子、次男として九州の片田舎である福岡県遠賀郡香月村楠橋で生れる

■このあたりは日本武尊が九州にはびこった熊襲征伐にこられた時のことがいろいろと言い伝えられている

■この前年に大日本帝国憲法が発布され、この年の11月には第一回帝国議会が招集された

■香月村には田代という家が7、8軒ありほとんどが一族であった

■父親は村役場の収入役をやっており、間もなく助役となりついで村長を長年つとめた

■好きな言葉
「一隅を照らす」「貧者の一打」


出典『私の履歴書 昭和の経営者群像4』日本経済新聞社


■田代茂樹(たしろ・しげき)
【1890年~1981年】東洋レーヨン社長、会長、名誉会長を歴任。日本化学繊維協会会長、日本腎臓財団初代会長、福岡県人会第三代会長、明治専門学校第一期生
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田口利八 子孫

田口利八の家族・家系
(西濃運輸創業者)



父:田口儀一(中級農家)
母:さく

妹:君子
妹:富子
妹:栄
妹:すみゑ
弟:実
弟:福太郎 

妻:このゑ

長男:利夫(セイノーHD2代社長)
次男:義嘉寿(セイノーHD3代社長)

孫:義隆(セイノーHD4代社長)
孫:英明

ひ孫:義展(セブンイレブンで修行をした後に西濃運輸へ。最初の一年間はドライバーを経験


■田口利八は1907年2月25日、長野県西筑摩郡読書村(後の木曽郡南木曽町)に、農家の長男として生まれる

■父親の儀一は『仏の義一』で通るほど人当たりがよく几帳面で働き者であった

■母親のさくは、躾が厳しかったという。利八はこの母なくして、今日の私はあり得なかったと述べている

■セイノーホールディングス株式会社は、岐阜県大垣市に本社を置く大手運輸企業西濃運輸グループの持株会社である

■田口利八は、岐阜の大物政治家、大野伴睦の後援会長を務めている。大野伴睦は人情に厚く、スケールの大きな政治家で金を残そうなどという考えはなかったという


【参考文献】
『私の履歴書 昭和の経営者群像1』


経歴(プロフィール)
■田口利八(たぐち・りはち)
【1907年~1982年】日本の実業家、西濃運輸(現セイノーホールディングス)の創業者。1960年、陸運功労賞。1977年、勲二等旭日重光章。1982年、大垣市功労者名誉市民(死後追贈)

李登輝 家族

李登輝の家族・家系・子供
(第4代中華民国総統)



父:李金龍(警察の幹部)
母:江錦(地元の村長の家柄)
兄:李登欽(2歳上。靖国神社に眠る)
異母弟:李炳男(貿易業に従事)

妻:曾文惠(敬虔なキリスト教徒)

長男:李憲文(1982年死去)
長女:李安娜
次女:李安妮
孫娘:李坤儀(こうぎ。1981年誕生)

■李登輝は日本統治時代の1923年(大正12年)1月15日、台北州淡水郡三芝庄で生まれた

■父親は当時としては珍しく警察学校を卒業したエリート官僚で『刑事』だったという

■李家は数世代前の先祖が中国大陸から台湾に渡ってきた

■司馬遼太郎は李に会った時に『司馬さん、僕は客家なんだ』と言われたと著書『台湾紀行』で述べている

■幼い頃から親しんだ日本語は『母語』といえた。李登輝は中学時代までに『岩波文庫』を700冊以上持っていたという。『古事記』『源氏物語』「夏目漱石全集」などを読破している

■妻の文惠は台北の第三高等女学校を経て2年制の女子高等学院を卒業し、台湾銀行に入行
 

【参考文献】
『台湾紀行』司馬遼太郎(著)
『李登輝秘録』河崎眞澄(著)


略歴
■李登輝(り・とうき)
【1923年~2020年】台湾(中華民国)の政治家。第4代中華民国総統(1988年- 2000年)。農業経済学者及び宣教師。コーネル大学農業経済学博士、拓殖大学名誉博士。信仰する宗教はプロテスタント・長老派。日本統治時代に使用していた名は岩里政男(いわさと・まさお)

中村邦夫 家族

中村邦夫の家系・子供
(松下電器産業6代目社長)



父:滋賀県の造り酒屋の息子




子供


■中村は1939年7月5日、滋賀県で生まれる

■中村は松下幸之助の隠し子の一人ではないかという噂がある。噂をされる要因として、中村は『破壊と創造』というスローガンを掲げ、松下幸之助創業者の経営理念以外は『タブーなし』という経営改革を断行した。これだけの改革が出来るのは創業者の血を引いているからだというのと、顔が似ているといえば似ている。このへんが隠し子と噂される要因かもしれない。しかし中村は『これからのリーダーに知っておいてほしいこと』の中で、父は近江商人の地である滋賀県の造り酒屋の息子で、そういう文化・風土を小さい子供の頃から少しばかり体験できた、と述べているので、幸之助の隠し子というのは単なる噂だとみていいだろう


【参考文献】
『これからのリーダーに知っておいてほしいこと』
中村邦夫(述)/松下政経塾/PHP研究所共編


略歴
■中村邦夫(なかむら・くにお)
日本の経営者。松下電器産業(現パナソニック)6代目社長。2000 年に松下電器産業の社長に就任した中村は、「破壊と創造」をスローガンに、聖域無き松下電器の構造改革に取り組んだ。だが、プラズマテレビ事業が失敗し、社長退任後、1兆円を超える巨額の赤字を2年連続で計上し、経営危機を招いた。1939年7月5日、滋賀県に生まれる。大阪大学経済学部を卒業

末次一郎 子孫

末次一郎の家系・家族・子供
(日本の国士)



父:材木商
母:働き者

妻:清子

長女:裕子
次女:
三女

■末次一郎の両親は福岡県の農村で生まれている。佐賀との境を流れる筑後川の下流、家具で知られている大川という町の近くの農村であった

■父親は若い時から世話好きで青年団長などをやっていた。やがて兄や弟とともに大川で材木商をはじめた

■末次一郎は1922年(大正11年)10月1日に、福岡県で生まれる。3歳の時に佐賀に移住。有明海に近い住の江という港街であった

■母は働き者で大世帯をよく切り盛りしてよく父に仕えた

■小学校では目立つ存在で6年まで級長を務めた

■2001年(平成13年)7月11日、夫人清子と、 嫁いだ3人の娘に見守られながら、 都内の虎の門病院で静かに息を引き取った

■葬儀委員長は中曽根康弘元首相が務め、『戦後、真の野人で、これくらい大きく国家的懸案に取り組み、前身させて日本のために活躍した人を知らない』と最大限の賛辞を述べている

■末次一郎の弟子の一人に同郷の佐賀県出身の政治家、原口一博(衆議院議員。総務大臣歴任)がいる


【参考文献】
『「戦後」への挑戦』
『温故創新 戦後に挑戦━心に残る人びと』


略歴
■末次一郎(すえつぐ・いちろう)
【1922年~2001年】安全保障問題研究会の主宰者。沖縄返還の功労者として知られ、晩年は日ソ専門家会議を主催して北方領土返還運動にも取り組み、「ミスター北方領土」の異名をとった。中曽根康弘首相ら歴代政府首相・首脳のアドバイザーとしても知られる。1922年10月1日生まれる。佐賀県出身。陸軍中野学校二俣分校卒
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